源頼朝は鎌倉幕府を開き、武家政権を確立した人物です。
平治の乱に敗れ、伊豆に流される
14歳の頃、父・義朝が平治の乱で平清盛に敗れ死に、頼朝は伊豆国(現・静岡県伊豆半島)流された。ちなみに離島に住まわされる「島流し」は聞いたことがあるかもしれませんが、ここでいう「流される」は平安時代の中心地(現・京都)から遠くの地に監視付きで飛ばされるようなイメージのようです。
正室は北条政子
伊豆に流された頼朝は伊豆豪族の娘の北条政子と出会いました。そして31歳の頃、21歳の北条政子と結婚しました。息子の頼家、実朝はのちに鎌倉幕府の2代目、3代目将軍になりました。
平家を弟・義経らと共に滅ぼした
伊豆にいながら味方を増やしていき、平氏に挑みました。5年の戦いを経て、義経が壇ノ浦で平家を打ち滅ぼしました。その後、義経と敵対。平泉まで逃げた義経を自害させ、義経を庇った奥州藤原氏も討たせました。
鎌倉幕府を開いた
奥州藤原氏を滅ぼした3年後、頼朝は朝廷に征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府が成立しました(諸説あり)。頼朝が征夷大将軍に任命されてから7年後に落馬して死亡したと言われています。
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